人に伝わるように書けるようになりたい:)


by 22Dec2008

カテゴリ:徒然草( 6 )

知識人の役割の一つは、時代や世間の流れや世の中が知らないうちに陥ってしまっている流れに流されないで、物事の真実を見極め発信できることだと思っている。

例えば、戦争が始まり、誰もが戦争賛成という雰囲気になっていたとしても、人類の経験や歴史から、それでもやっぱり戦争はよくないんだと考えたら、たとえその影響が限られていたとしても、語り続けられることこそが知識人に課されている役割の一つであると思っている。象牙の塔に閉じこもっていることは確かによくないことは多いけれども、閉じこもることの正当性があるとすると、知らないうちにできてしまう時代の波に流されることのない、大事なことなにかを考え発信することだと思っている。

だとすると、新型インフルエンザが日本でも大流行している今、知識人にかされている役割は何なのだろうか。今ビザの申請のために日本に帰国しているのだが、新型インフルエンザが人から人へと感染したということで大騒ぎになっている。この場合の知識人とは、インフルエンザ関係に精通している自然科学系の知識人のことだけではない。ここまで人々の生活や心理に影響を与えているのだから、もはや自然科学者だけの領域ではないのは明らかだ。学融合などが叫ばれている今日、今のような事態を批評する知識人がもっといてもいいはずだし、もっと発信していくべきであろう。

インフルエンザ対策が騒がれれば騒がれるほど、見落とされてしまう大事なことが出てきているように思ってならない。けどやっぱりこういう点も大事ではないか、という知識人の発言を渇望するし、もし自分が知識人になれるのであれば、そういう人になりたいと思う。大騒ぎが起きればおきるほど、世の中を冷静に見つめられる立場にいる人たちの声に飢える自分がいる。

薬が飲めない立場にある今、正直インフルエンザは少し怖い。けど、もし仮にこれがオーストラリア人の科学者のエードリアン・ギブズ氏が発表したように人為的なミスから来ているものであるならば、新型インフルエンザが出てきたのは、人間が自然界に手を入れすぎた結果であるとも考えられなくはないかもしれない。もしそうであるならば、抗ウィルス剤を人数分作り配分するという短期的な対策だけでなく、人間と自然の関係というもう少し長期的な対策にも目を向ける必要がでてくるのだと思う。けど、この因果関係を証明するのはかなり大変だ。だからこそ、指導教官の先生が良く引用し、私も気に入っているアマルティア・センの言葉が身にしみる。即ち、「ぼんやりと正しいほうが、はっきりと間違っているよりマシだ」。根拠なく落ち着くのも、少しの根拠から大騒ぎするのも間違っているように思う。今必要なのはきっと、できる限りの対策はしつつ、けど、同時にこれをきっかけに本来考えるべき、長期的な社会のビジョンを喚起していけるような話題なのではないだろうか。そういう話題を私がまだ見つけられたないだけだと思うけど、大学の中に今いない中、なかなかそれらの話題が見えてこない。だから、今の世論の喚起の仕方はどこかバランスが悪いような気がしてならない。

世の中の流れにただただ流されることなく、冷静に見つめ見落とされがちな大事な視点を発信していける人になっていきたい。
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by 22Dec2008 | 2009-05-17 00:08 | 徒然草

おめでとうございます!

私の一年上の先輩が無事に中間審査に「合格」!ここまでたどりついたら絶対に大丈夫と思っていたけど、先生から連絡を頂いたときはなんだか自分のことのように嬉しくなった。先輩の粘り強さ、信念の強さ、持久力、周りに左右されずに自分のペースを貫く強さ、考え続ける体力とどんなときも忘れない遊び心などなど、研究のみならず生きて行くうえで大切なことを本当にたくさんのことを学ばせてもらっています。おめでとうございます!先輩の努力の結晶だ。本当にすごい。みんな盛り上がってるだろうな。私にとったら、自分の持っている以上の力を引き出してもらえる環境と仲間がいて、いつも刺激がいっぱいで、みんなと一緒にいるだけで多くの学びに恵まれる、本当にいいゼミ。懐かしい。ささ、前向いて、私もがんばらなくては。

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今日は水餃子と焼き餃子を皮から作ってみた。私はご飯を食べ終わったときに次のご飯を作りたくなる傾向があるようで、その性質をうまく使って段取り良く作れたと思う。ただ反省は生地を伸ばしたらすぐに具を入れること。朝ごはん食べた後に生地をこね、お昼ごはん食べた後に、ちょうどいい感じで寝かされた生地から皮を作り、積み重ねておいておいた。するとくっついちゃった。次回はばっちり。簡単だし、おいしいし、またつくろうっと。
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by 22dec2008 | 2009-02-12 16:05 | 徒然草
タイ語では、語尾を和らげるためによく na kha (นะคะ)をつける。
Take good care of yourself na kha
I think this will be nice na kha.など
相手にこうしたほうがいいよ、という自分の意見を伝えるときの最後につけて、相手に自分の意見を押し付けない効果があるように思う。
タイ人の友達は英語でメールするときでも、(もちろん会話でも)ついつい、語尾にna khaとつけてしまう。私もいつしかそれが自然になっていた。

で、さっき、写真教室のクラスメートから来週の宿題についてメールがあった。
na khaはおそらく通じない。
na khaに変わる英語表現はなんだろう。
と考えているうちに、ことばで伝える努力をする癖が自動的に組み込まれているアメリンイングリッシュのすごさに少し気づいた。
" na kha"とは何?と自問自答し、感覚ではなく、ことばで表現すること。

まだまだ観察不足だけど、タイでは、「ことば」にしてしまうと、なんだかぼんやりとしていたことがその「ことば」によって固定されてしまうような感じがする。そして、その「ことば」に頼ってことばが独り歩きしてしまうような傾向があるような気がする。山岳民族の特徴はこれだ!と誰かが言ってしまうと、知らないうちにそのイメージが広く広まってしまう。あるい人はこれを思考停止というけど、そうじゃなくそれだけことばで表せない領域があることに敏感なんだと思う。人間の理解できる範囲には限界があるという、どこか謙虚なところがあるように感じる。時々難しいけど、私は決して嫌いじゃない。人間の考えていること、感じていることはそんなに簡単にことばにできないのに!ってタイにいるときなんでもことばで説明してほしそうなアメリカ人の友達を見て思ったのはまさにこの違いだったのかもしれない。

けど、ことばに頼らないと、目の前にいる人以外の人に伝えることはできない。もちろん、写真とかビデオとかそのほかの方法もあるけど、まずは「ことば」で伝えられるようになりたい私にとって、毎日喧々諤々と議論を続けているアメリカのテレビ番組を見ているだけでも結構勉強になる。早口でもきちんと自分の考え、気持ちを言っている。それに、いろんな意見を踏まえながら。一人三役くらいして自分の考えや感じていることをことばにしていく。この訓練はすごい。

文化によって、自分の意見を伝える方法、悲しみや困難を乗り越える方法、相手を気遣う方法などなどに違いがあるのが面白い。けど、それぞれの文化においてちゃんとそれらがあるのもまた面白い。
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by 22dec2008 | 2009-02-06 12:05 | 徒然草
a0111486_12482645.jpgバークレーはもう春。真っ青な青空に桜が綺麗に映える。

研究がはかどらないとき、色々とやりたいことをやってしまう。今日は節分だったから本格的にお寿司を作りたくなった。できたお味は自己最高!とってもおいしくできて大満足。北東北を向きながら丸かじりも!乾燥しいたけを買いに、歩いて10分のところにあるTokyo Fish Marketに行くと、なんと、地元で取れた新鮮ないわしが売っていた。2匹で$1.28。焼きたて熱々は最高においしかった。今年もきっとたくさん福に恵まれるはず:)。

今日の巻き寿司がおいしくできたのは、お米を研いで、ざるにあけて30分以上おいておいたからだと思う。あと、だしをたくさん作っておいたのも良かった。今回の発見は干ししいたけを煮込むのが以外と簡単だったこと。海外にいるとついアボガドやスモークサーモンに頼ってしまうけど、これもありだ。しかもTokyo Fish Marketでは干ししいたけは一袋$1.49で売っている。a0111486_12543520.jpg今度は前日から戻しておこう。引っ越される方から頂いた凍り豆腐を高野豆腐の代わりに使わせてもらった。それもいい味がしていた。カリフォルニアロールとかじゃなく、純粋な家のお寿司。大成功でよかった!
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by 22dec2008 | 2009-02-03 13:00 | 徒然草

お昼休みに見た番組

お昼ごはんを食べているときに、Swap Wifeという番組がやっていた。

なんと、まったく異なる価値を持つ家族のお母さんが二週間入れ替わる。一方は、お互いを尊重することが大事だという価値をもっていて、子どもにもしっかりと家の中の役割があり、子どもも自分のことは自分でできる家庭。もう一方は、妻がすべての家事をして当然で、子ども時代には子ども時代にしかできないことを存分にしていたらいいという家庭。
一週間は新しい家庭がそれまでやってきたルールに従って行動すること。そして、後半の一週間は、「おかしい」と思うことをルールとして発表してそれを守ってもらうこと。さすがアメリカ!

前者では、時には子どもの自由がなくなりすぎてしまうこと、両親から十分に信頼されていると思えないときがあるときがあること、両親と対等に話し合ったり遊んだりできないことなどが問題として描かれる。

後者では、何もできない子どもや夫、自分にはまともな人生が送れないんじゃないかと将来に希望を持てなくなっている子ども、ばらばらになっていく家族、妻の人生をあまり考えない夫などが問題として描かれる。

というか、異家庭体験をした後の本音トークでこれらが炸裂する。

こうやって、本来閉じた空間が開かれるとき、考えさせられるものがたくさんある。構想も大胆だけど、実際にそれを放送して番組としてまとめて放送するのもすごい。
家族を愛していて最大のものを子ども達に与えたいということは共通しているけど、自由と規律の微妙なバランス加減でそれぞれのメンバーに与えられる影響が変わってくる。
けど、それぞれが、自分達のことは自分でできていてなおかつお互いを尊重できている家庭はすごくかっこよかった。夫だけじゃなく、子どもも家事に参加する。そして、その意味も全員が納得している。すごい。アメリカ、やるなー。
家族よがりにならない風通しのいい家庭。またこの番組に出会えるか分からないけど、なんかちょっとどうどうと人の家を覗き見してしまったみたいでちょっと恥ずかしながらも面白かった。

以上!
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by 22dec2008 | 2009-01-30 09:13 | 徒然草

学びの王国

ここは学びの王国だと思う。

毎週火曜日の夜7時から9時までアルバニー(今暮らしている地域。バークレーのすぐ隣の地域。大学の家族寮があるところです)のアダルトスクールに通っている。
エリセリートプラザを少し南東に行ったところにある高校の空き教室を使って行われている。

私が通っているのは写真教室。
定員いっぱいの超人気教室。初心者から上級者まで誰でもOKという寛大なクラス。
教室に通う動機もばらばら。経験もばらばら。カメラだけは私ともう2人以外はみんな超かっこいいでっかいカメラという点は共通だけど:笑。体系立てた授業ではなく、先生の気の向くままに授業が展開されるのも面白い。

そんな写真クラスの3回目くらい。
初めて参加してきたおばあんがいらしていた。

授業が進み、先生から「何か質問がありますか?」と呼びかけられたときそのおばちゃんは手を挙げてこう言った
「えーっと。私、今日初めて参加するので、少し迷子になっているのですが、もう少し教えてもらえませんか?」と。
日本だと、いや、私だけかもしれないけど、
自分が3回目から参加していて、1回目2回目でやったことについていけない場合、
時間中に、みんなが習ってきたことを質問することにためらいを感じてしまう。

けど、しっかりとことばで、自分をも相手にもやさしくユーモア持って質問できている。

先生「あ。それは失礼(笑)!まず自己紹介からしてくれる?」
とはじまり、これまでやってきたことの復習をしてくれた。
おばちゃんにとっては初めてのことだし、
他のみんなにとったら復習になる。
そして、休憩時間を使って実技の練習までやっていた。

・・・
アメリカに来て驚いたことの一つは、
どんな質問も、寛大に丁寧に答えてくれる人が多いということ。
ここは、学びの王国かもしれない。
特に、色んな人が集まっているバークレーだからなおさらなのかもしれないけど。
銀行にいって、saving とcheckingの違いが分からなかったときでも
知っていて当然であるはずの質問だったとしても、
そんなことも知らないのかーなんて表情まったく見せずに答えてくれることが多い。

日曜日にバークレーにあるタイのお寺でタイ語教室の体験学習に参加したときも、
自分の知らないこと、分からないこと、バンバンと質問が出る。
あまりにも自信もって分からないことを言うし、間違いをするから、
時々ギャグなのかと思ってしまうこともあるけど、
みんな本当に真剣で、そうやって学んでいくし、そういう進み方が受け入れられている。

確かに、アメリカの小学校にいたとき、そうだったかもしれない。
そして、日本に戻り、一番驚いたことの一つだったかもしれない。
質問が歓迎される国。質問が授業の計画を妨げる邪魔者と見られる国。
考え抜いた質問しか受け付けられない国。どっちがいいって言っているわけではないけど、
多様な背景を持つ一人一人の「学び」を促すことに関してはアメリカの勝ちかなっ。

けど、一点まだ分からないことがある。

こんなに多様な背景を持つ人がいるけど、
そのそれぞれの人の持つルーツや物語が、
新しいことを「学ぶ」際にどう活かされたり融合されたりされるのかという点。
どんなルーツでも、新しいことを学んでそこから積み立てていったらいいじゃんという立場なのか、それとも、それぞれの人の持つルーツや背景にそれぞれが批判的になりつつも重んじる姿勢が尊重されるのか。
色んな人がいて、多文化が共生しているように見えるけど、
なんか膨大なエネルギーが出てきていないように感じるのは、
まだカリフォルニアにきて1ヶ月しかたってなくて見えてないだけかもしれないけどね。
アンテナ立てておこうっと。

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This sure makes me hungry! と写真教室で褒めてもらった写真:)
夫が作ってくれた「トマトとバジルのモッツァレラチーズスパゲティ」。おいしい!

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by 22dec2008 | 2009-01-30 03:50 | 徒然草